年頭にあたって

年頭にあたって所感(雑感?)をツラツラと…

【 1:可能性を信じることは不幸か? 】

人が悩むのは「可能性」があるからだと思っています。いや、30代とか40代になれば悩みの中身も質的に変化するのかもしれないけど、少なくとも20代にとっては「可能性」の存在が悩みの原因であるように思います。可能性が本当にゼロなら普通は悩まないし、そもそも選択肢にあがらないので「どうしようかなぁ…」と悩むはずがありません。

「可能性」という単語は概ね肯定的ニュアンスで使われるけど、可能性をあまりにも信じる人は結局迷い続けることになるでしょうね。例えば自分の将来。自分を含めて周りを見ていると「ロースクールに行って再スタート!」「大学に戻って研究者になろうか?」「会社を辞めて再就職するか」…とか色々です。「まだ間に合う」という可能性の魅惑にフラフラ(あるいはクラクラ)してしまうんでしょうか?この点、公務員みたいに年齢制限があるのは(ある意味)幸い。可能性を信じ過ぎる、諦めの悪い人に対してどうにかこうにか諦めるきっかけを与えてくれるのだから。

あ、もちろん可能性を信じることや可能性と闘うことは否定しません。でもそれが本当にいいことなのかは分からないということ。相当に高いリスクをとることになるし(=時間とお金という最も高い代償を掛ける(賭ける)ことになる)、「何にでもなれる」というのはとりもなおさず、今のところは「何者でもない(Nobody)」ということなのだから、そのことに対する不安も付きまといます。


【 2:じゃあ、諦めるか? 】

諦める。可能性を放棄する…。その潔さをどこで獲得するのか僕は知りません。僕は大学受験の時、妥協しなかったらセンター試験だけで6回も受けるハメになってしまいました。何だか周囲から笑われているような気がしてたし、他ならぬ自分自身が自分を笑っていたかも知れない(もちろん泣きながら…)。「同級生に遅れを取った」とも思いました。20代前半の1番楽しい時間を5年も(そう5年間も!)あのバカバカしい受験勉強に費やしたのだから。もう2度と取り返せない時間を…。でも諦めようとは思わなかった。

あ、こういう書き方すると誤解を招くな。なんだか「挫折の末に勝利!」みたいに読めちゃう。でもそんなにカッコイイものではない。第一、「挫折した」なんて思わなかったし。2つだけコメントしよう。「楽観主義」と「時間を逆算する視点」について。

「楽観主義」。まず僕は結構チャランポラングータラしてて、その上、案外楽観主義だったから「まぁ、そのうちどうにかなるだろう」「アホだったアイツだって○○大に入れたんだから、僕だってH大程度ならどうにかなるわい」「俺、結構アタマいい方だし」「運もそれほど悪くないしなぁ」と変に自信というか錯覚のようなものがありました。親は「オイオイ、どうするんだ…」みたいな感じだったけど、当人はそれほどは焦っていなかった。まぁ、危機感を持たず、焦りもしなかったから5年もかかったのかもしれないんだけど。「いつかはどうにかなる」では「いつまでもどうにもならない」ということに気付くのに5年かかったということかな?さっきも書きましたが、不思議なことに「挫折した」とは全然思いませんでした。この程度で「挫折」なんて言ってたら、本当に・心底・徹底的に・とことん・完膚なきまでに「挫折した人」から袋だたきに遭うだろうなと…。だって、たかが受験ですよ?挫折のうちに入りますか?チャンチャラおかしいでしょ?いや、確かにツライですよ。でも試験なんですよ、試験。誰かがあなたの邪魔をしましたか?何か不可抗力が働きましたか?不幸?運が悪い?…そうなのか?試験に落ちて「僕、挫折しました…」って滑稽でしょ?「バカかお前は。笑わせるな」って感じ。

「時間を逆算する視点」。僕は「時間を将来から逆算する」ということを常にやっていました。例えば今から「3年後」を考える場合、普通は「これから3年、どうするか?」と現在を基点にして未来志向で時間を考えると思う。でも僕の場合は逆。3年後の自分を思い描き、そこを基点にして現時点を逆に眺めるということをしていた。例えば今が22歳だとして「そうか、3年後かぁ…。俺は25歳だなぁ…。25歳ってたぶん会社に入っても、まだまだペーペーだよな。何にもできやしない。そんな25歳の自分が22歳の自分に何か言うとしたら何と言うだろう?『おい、3年なんてアッという間だぜ。焦るなよ。3年ぐらいで人生、前になんか進みやしねーよ。今ならまだ何でも間に合うぜ。俺は25になっちまったからもうダメ。22の時にやっときゃ良かったなぁ〜。お前、まだ22だよな?ならまだ間に合うぜ。やってみろよ!やらなきゃ絶対あとで後悔するって!』とか言いそうだなぁ…」って感じ。今から「1年前」を考えると「1年なんてアッという間だなぁ」って思うけど、今から「1年後」って「長いなぁ…」って感じない?「1年後」についても「1年前」の視点で考えてみたら結構気が楽になりますよ。

まとめると「楽観的に考える」「時間を逆算の視点で考える」の2点を心がけると、「精神衛生上、いいかも…」ってこと(それ以上のこと、例えば「モチベーション」とか「目的意識」については人それぞれでしょう)。そんなに将来を悲観しても仕方ないしね。H大に入るまで5年遅れたけど、中高の同期だってそれほど前に進んでなかったと思う(..と言い切ってしまうと失礼かも…)。あ、最後に1つ追加。僕、極端な「負けず嫌い」です…(笑)。

だいたい人生なんて、そんなにトントン拍子になんか行きませんって。停滞の連続。「進んだぁぁぁ!」「一歩前進したぁぁぁ!」と思ってもすぐにストップがかかるもんなんです。まぁ、僕だってまだ若僧だからエラソーなことは言えないけど、停滞しても「まぁそういうもんだ」って具合に慣れちゃうほどには成長したし、それに、こと20代に関してはそろそろ終わりを迎えるので決算してもいい時期かと…。

焦りなさんな、まだ十分間にあうから…。諦めなさんな、まだ何も始まってないんだから…。


【 3:「可能性」と「諦め」 】

「可能性を信じると迷う」「リスクをとってもかなうとは限らない」「でも妥協はしたくない」「どうにか『前』に進みたい」「諦めると楽にはなる」「でも後で後悔しそう」…etc。はぁぁぁ..不幸だな…。「闘う君のことを闘わない奴らが笑うだろう」といったのは中島みゆきだったと思う。闘わない奴らの嘲笑って何なんだろう?単純に「無駄だよ、無駄!無理だよ、無理!」って言ってるだけなのか?そうじゃないと思う。むしろ「笑う人々」は「無理であって欲しい。彼の努力が無駄になって欲しい」という願望をこめつつ、笑っているんじゃないか?リスクを取った人が成功した時、リスクを取らなかった「笑う人々」は地団太を踏んで悔しがるだろう。「俺はなんでリスクをとらなかったんだろう…」って。でも「笑う人々」ってきっと自分の現状に満足してないから他人の努力を否定したがるんだろうな。"Happiness consists in contentment."

「可能性に賭ける」か「諦める」か。前者を取るならブレずに、一心不乱にやりなさい。そうすれば「諦められる」から。後者を取るなら、「これで満足なんだ」と思いなさい。「可能性」に魅力を感じなくなるから。「変えられないものを受け入れる力 受け入れられないものを変える力をちょうだい」と歌ったのは宇多田ヒカルだったかな。どっちも楽じゃありませんよ。楽な道なんて無いんです、たぶん。少なくとも自分が向上心を持つ限りは。
 

平成18年(2006年)。

今年が皆様にとって充実した、良き1年となることを、心の底から祈っています。応援します。

友達の、家族の、同僚の、先輩の、後輩の、彼女の、先生の、みんなの笑顔を見るのが、僕は何より好きなのですから(←これは本当)。笑顔を絶やさず、前向きに、ポジティブに行きましょう(生きましょう)!