「愛国心」とは

今朝の道新の4コマ漫画から。(※佃公彦『ほのぼの君』。Wikipediaこちら。)
登場人物は「ほのぼの君」と「おとめちゃん」の2人。

ほのぼの君:「もちろん愛国心はあるさッ!」
おとめちゃん:「じゃスケールの大きな質問するわよッ!」
ほのぼの君:(小声で)「ドーゾ」
おとめちゃん:「わたしと日本 どっちが好き?」

大したことのない4コマ漫画ではあるものの、なかなか興味深く、また難しいお話だなぁと。「《わたし》と《日本》を天秤には載せられんだろ??次元が違うじゃん?!」というツッコミは、とりあえず置いておくとして、さて「愛国心」とは何だろうか。
愛国心が叫ばれるのは究極的には戦争の場面な訳ですが、「国のために死ねること」が「愛国心」なのか?確かに分かり易い例だけど、「日本人であることを誇りに思います!」とか言ってる人に「じゃあ、あなたは国のために自発的に死ねますか?」と。殉教という訳でも、民族自決という訳でもないのに、純粋に「"ヤスクニ"に祀られたい」とかそういう理由で突撃できるもんかね?結局は「命令されたから..」とか政治的な理由で不本意ながら死んでいくのではないかと。で、犬死だとあまりに情けなく、それだと自分を納得させられないので、8月15日近くの映画やドラマなんかは、「妻」とか「恋人」とか「婚約者」とか、あるいは「母親」や「我が子」のために、つまり身近な愛する人たちを守るために死ぬと。
…ってことは、「愛国心」とは、実のところ、個人レベルの「恋愛感情」とか「親子愛」の延長線上で実践されるものなのか。「私と日本のどっちが好き?」と聞かれたら、「次元が違う!」というツッコミは(実は)ナンセンスで、迷わず「君に決まってるだろ!!」と答えるのが正解らしい‥