ファインマン、かく語りき..

ノーベル賞学者ファインマン(Richard P. Feynman 1918-1988)のエッセイ集 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫・2000年)は僕の好きな本だ。ファインマンの人間的魅力を感じることができる。その中にこんな一節がある…

「…学生の質問が新しい研究のきっかけになるというのはよくあることだ。自分でも以前に考えてはみたけど、いったん解決をあきらめた形になっていたような深遠な問題を、学生はよく持ちだしてくる。そういった問題をもう一度考え直して、今ならもう一歩進めないものかどうかためしてみるのも決して悪いことではない。学生は僕が答を出したいと思っているような問題をほんとうには見通しておらず、僕が考えたいと思っている微妙な点を理解して質問したわけではないかもしれない。それでもなおこういった問題の近くをつつくような質問をしてくれれば、こちらはそのことを『思い出せる』というものだ。こういうことを自分で自分に思い出させようったって、そう簡単にいかないものである。だから僕は学生たちを『教える』ということが、僕の生命をつないでくれるものだと思っている。誰かが僕に、授業をしないでいいという安楽な地位をわざわざ作り出してくれたとしても、僕は絶対にそんなものをありがたく受けようとは思わない。絶対にだ!」
(「お偉いプロフェッサー」より)

僕の周りの何人かは将来、法学者になるわけで、おそらくどこかの大学で教鞭をとることになるのでしょう。少なくとも授業を「面倒クサイ..」と思うような「センセー」にだけはなって欲しくないなぁと思うわけです。森の切り株にじ〜っと座っていたところで、あるいは研究室のフカフカした椅子に座って読書をしたところでアイディアは出てこないんでしょうね(考えはまとまるのかもしれませんが..)。さっき久々に読み返していて、ふとそう思いました。