「想像力」という名の病い

先日読んだ本の中に『思い込みはいつだって敵だ。見えるものも見えなくしてしまう…』という一文があった。僕自身、振り返ってみると、誰かを嫌いになったり、信じていた人を信じられなくなったりというのは大体、根拠の無い「思い込み」によることが多い。「影で悪口を言われてるんじゃないか?」とか「彼女は浮気をしているんじゃないか?」とか。そういう「想像」がドンドンふくらんで、いつしか「確信」にまで達してしまうと、大切なものが見えなくなる。見えていたものまで否定するようになる。気付いた時には、何かを(あるいは全てを)失っていることさえある。「想像なんかしないで、もっとちゃんと向き合えばよかった..」「話し合えばよかった..」と後悔する。「想像力」は時として「危険な病い」になりうるのだと思う。
人生の師匠(なのか?)である犀川先生もこうおっしゃっている…

「小さなことが、妄想で大きくなるんだ」
「逆に言えば、それくらいの妄想がないと、人は殺さないだろう」
なるほど、と萌絵は思う。ちょっとしたことから、相手を憎み、憎むことで、また妄想が拡大する。人間だけが殺人を行なうのは、人間だけにあるこの想像能力のためだろう。
(『幻惑の死と使途』)

さすがに人を殺そうと(本気で)思ったことはないけど、殺すほどにまで膨らみうる、そういうポテンシャルが「想像力」にはあると思う。

最近、「嘘をつくならもっとマトモな嘘をつけばいいのに..」と思うような出来事があった。「彼(女)は嘘を言っているに違いない」と。「そういう傷つけ方はないんじゃないか?!」と思った。でもそれは全て「想像」でしかない。今まで信用していたのに、どうして信用できなくなってしまったのだろう?自己嫌悪.. 冷静になってみよう。「誤解の連鎖」や「想像の拡大」にストップをかけてみる。言葉を虚心坦懐に受け取ってみる。騙されても笑っていられるほど強くも優しくもないけど、自分の側から裏切りたくはない。

"On ne voit bien qu'avec le coeur, l'essentiel est invisible pour les yeux." は素敵なセリフだと思う。でも「見えないもの」を信じ過ぎてはいけない。「見えるもの」にだって「大事なこと」はあるのだから…