日々(RP:028)

  • 深夜。「とにかく書きなさい!」という教授の指導により、とにかく書いてみる(笑)。おかしかったり、怪しげだったら「はい、ダメ!」と言われるだけのことなので。書かないことには教授としても「ダメ出し」のしようがないし、(あるいは逆に)報告直前になってからダメ出しされても僕が困るし…(笑)。「拙速は巧遅に優る」と。まぁとにかくホッタテ小屋でもなんでもいいから形にせねば…。
  • で、【①:商標の公共性、②:カナダに於ける公共性、③:国際信義で限定】という①→②→③はいいと。んでもって、これで判決が曲がりなりにも説明できる(気配)なので、あとは19号の説明を入れて一応は「できました!」に持っていけそう。
  • ただ(これは最初の面談前から気になっていたのだが、)「顧客吸引力へのタダ乗り」を(このラインの中で)どうやってさばいていこうかなぁと。やっぱりこの判決を見た人が最初に考えるのは「著名性を利用した便乗商法」な訳で(←というか朝日新聞の記事もそうなってたし..)、やはりこの点には触れた方がいいのでは?と…。
  • 考えていたアイディア(作戦?)は「いかに顧客吸引力があろうとも公共性(=他者に開放させる必要性)がなければ独占させりゃーいいじゃん?!」という実もフタもない処理。念頭にあったのは2ちゃんの「のまネコ問題」。著作権との抵触は格別、独自に創作した商標ではなく、また公衆(=2ちゃんねらー?)の共有財産だったとしても(それゆえ、顧客吸引力が強いとしても)、「のまネコ」や「ギコ猫」の出願を7号では蹴れんだろ?!という考え。
  • 「あ、これでいいや。サラっと書いちゃお…」と思ったのだが、これは僕個人の価値観な訳でして、ことはそんなに単純でもなかろうと。特に白田秀彰先生(←『コピーライトの史的展開』で有名)が「のまネコはインターネット上のフォークロアといえそうだ..」なんてコメントしているらしく、椅子から落ちそうになりましたYo。「えぇぇ〜、伝統的知識と知財権に飛んじゃうのぉぉ〜!カンベンしてぇぇ〜!(そこらへんはYnさんがやってくれぇぇ〜(笑))」と思ったり。まぁ、ウソでもいいので、当初のアイディアで書き切りますけどね。僕のアイディアが「独自説」なら白田先生のアイディアだって「独自説」の風味だし(っていうか、白田先生の説はアヤシゲ…w)。互いに独自説ならあとはスジが通っていれば並存しうる考えだと思うので。(…と野心的になってみる)。ま、いいや。寝よっと。
  • 9:00、起床。父が東京から帰ってくる。「みち子の焼サバ寿司」を食す。デザートに六花亭クレームブリュレ。『容疑者 室井慎次』をDVDに録画予約しておく。
  • 「パクリ過敏症(?)」な社会が醸成されているようでして(※こちら)。「法的に侵害に当たらない行為に対しても明示的な(場合によっては金銭的な?)『リスペクト』が必要だ!」という社会になったんですね(ふ〜ん…)。三田誠広さんの「朔太郎への感謝の言葉を入れるべきだ」「先行する芸術への尊敬の気持ちが欠けている」というコメントは「お説教」という理解でよろしいですか?
  • いや、いいんですよ。ただ「リスペクト(敬意)」って何なんだろうと?法律系論文の注釈のようなものですか?つまり(著作権とは無関係に)、「このアイディア・学説は我妻栄教授が最初に提唱されてます(=私のオリジナルではありません)」という場合はもちろん、「我妻教授の著作を読んで触発(インスパイア?)されました、ヒントを得ました」という場合も、必ず「注」を打って紹介するのがウチらのギョーカイの「慣わし」。しかも(昨日の研究会でも少し話題になったのですが)、その手の「お作法」は結構シッカリしているらしく、ファカルティは注釈に細心の注意を払っているようでして。論文を書いている先生の「感情」(=それがリスペクトであれ、あるいはその逆であれ*1)が、注釈中にジワジワと現れるのが法律系論文の世界。三田さんはそういう慣行・慣習を文芸作品の分野でも確立したいというお考えなのだろうか??
  • 出勤。途中、LOFTに寄って、小説(『夜のピクニック』)とベルト(こげ茶)を購入。
  • 研究室でお仕事。まぁ捗ってるような捗っていないような…。
  • 数時間がヒュンと飛んで、そのまま夜。それほど疲労感はない。これはあまり真剣に取り組んでいないということなのか?いかんいかん。
  • 帰宅。はい、お疲れ様。明日も出勤だな… orz..

*1:つまり「お前、アホちゃうか!」と言いたい時にも「注」を打って叩くのですっ!(笑)