凍結精子認知訴訟(最二小判平18・9・4)

世間の話題は「やんごとなき姫君のご出産」な訳ですが、民法業界も「ご出産」で混乱していた模様(※記事はこちら、判決全文はこちら)。学部・修士時代の同期が本件2審(高松高判平16・7・16判時1868号69頁)で評釈を書いていたことを思い出したので読んでみた(大島梨沙[判批]北大法学論集56巻3号406頁)。以下、僕が理解した範囲で「備忘メモ」的に要約。(※いうまでもありませんが、以下の要約の文責は全て僕にあります。疑問に思う点は原文に当たって下さい。)
1:事件のあらまし

  • 夫Hと妻Wは平成9年に結婚。Hは結婚前から白血病の治療を受けており、結婚の半年後、骨髄移植を受けることになった。Hは大量の放射線照射を受けることにより無精子症になることを危惧し、平成10年、自己の精子を凍結保存した。
  • Hは平成10年夏頃、骨髄移植手術を受ける前に、Wに対し「自分が死亡するようなことがあってもWが再婚しないのであれば自分の子を産んでほしい」という話をした。加えて、骨髄移植手術を受けた直後に、両親、弟、叔母に対し「自分に何かあった場合には、Wに保存精子を用いて子を授かり、家を継いでもらいたい」との意向を伝えた。
  • Hの骨髄移植は成功。Hは一端は職場復帰を果たす。しかし平成11年夏頃に再入院。9月に死亡。
  • WはHの死亡後、Hの両親と相談の上、保存精子を用いて体外受精を行うことを決意。平成13年5月、子供Xを出産。
  • WはHWの嫡出子として出生を届け出たが不受理。不服申立を行なったが家裁・高裁・最高裁、いずれも不受理相当。そこでWはXの法定代理人として、XがHの子であることについて死後認知を求めた。

【関連条文】民法787条:子、その直系卑属又はこれらの者の法定代理人は、認知の訴えを提起することができる。ただし、父又は母の死亡の日から三年を経過したときは、この限りでない。
2:高裁判決
人工受精の方法による懐胎の場合において、認知請求が認められるためには、①:認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り、②:子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて、③:事実上の父の当該懐胎についての同意が存することという要件を充足することが必要であり、かつそれで十分である。
3:評釈の概要
【3-1:前提】

  • 本件で問題とすべきは「死後生殖は許容しうるか」ではなく、「民法787条は死後生殖によって出生した場合にも、血縁があれば無限定に法的父子関係を認める規定であるのか否か」だ。従って、死後生殖の法的評価というアプローチに加え、787条の制度趣旨を検討する必要がある。
  • 死後生殖の法的評価は2つの次元で問題が提起されている。①「死後生殖は許容しうるか?」、②「死後生殖で生まれた子を現行法下で位置づけることは可能か?」の2点である。
    • ①につき、日本では死後生殖を直接禁止する立法がなされていない。諸外国の立法はそれぞれの国が採用する価値観の下、禁止と許容に分かれる。日本は未だ価値観に決着がついていないと言える。従って「禁止が公序だ」とまでは言えない。
    • ②につき、現行法下で死後生殖子と(死亡した)血縁上の父との間に法的父子関係を求める場合、文言上使えそうなのは787条の「強制認知制度」のみである。しかし立法・学説・判例・諸外国の例を検討した上で言えることは、結局のところ死後生殖というアプローチのみから認知の許否を判断するのは困難だ、ということである。(従って787条の制度趣旨を検討する必要がある)
  • 787条の制度趣旨は「子の保護」と「父の責任(=法律外で子供を作ったことの不道徳性)」である。強制認知制度は血縁で法的親子関係を強制的に創設する制度であるが、その正当性は「父の責任」に求められる。
    • 「子の保護」:この点からは、死後生殖子であっても787条の対象になる。問題は「保護」の中身だ。これは相続のような法的効果に限られない。「戸籍の父の欄が埋まる」というような副次的効果も「子の保護」には不可欠である。
    • 「父の責任」:この点からは、「父の責任」がない死後生殖の場合、法的父子関係を設定することは出来ない。これが本件での最大の問題である。

【3-2:検討】結論には賛成するが、理由付けには疑問が残る。

  • 本判決は787条を「血縁」で親子関係を創設するものであり、人工生殖の場合は父の意思が認められないから、認知に当たっては父の懐胎についての「同意」が必要だとしている。787条に独自の要件を加えている点で類推適用といえる。以下の2点に疑問を感じる。
    • 「血縁」:類推適用において「血縁」を強調している点には無理を感じる。むしろ「子の保護」を示すべきだったのではないか。要件の付加については「父の責任」が全くない所に責任を設ける趣旨であると説明できる。
    • 「同意」:「同意」というような男性の意思を要件とするより、「子供を作った」と言えるような(同視できるような)外形的な「言動」を要件とすべきだったのではないか。もっとも本件の場合には「言動」が見受けられるので認知を認めてもよい。
  • 残された問題。①:同意の推定(=どうやって「同意」を認定するのか)、②:嫡出子とする可能性(=死後認知訴訟の前に嫡出子としての地位確認訴訟が提起できたのではないか)、③:現行親子法の問題(=現在の親子法の枠組みを人工生殖に対応させる方向のみならず、親子法の枠組み自体を見直すことが必要ではないか)。

(以上)
色々と感想はあるのですが(←評釈に対しても、判決に対しても)、イデオロギー対立に陥りそうな予感がするのでやめときます(←ズルい態度ですが、文章にすると尾を引きそうだしなぁ..)。なおこの他の評釈で、ネット上でも読むことができるものとしては水野紀子教授(東北大)の手になるものがあります(水野教授のHPはこちら、評釈はこちら)。もっとも、水野評釈は「私はこう思います。皆さんもそう思うでしょ?」という自らの信念以上のことは何も語っていないように思えました。法律論を期待して読むとズッコケます…。